半世紀前から辞書に掲載 大阪寿司は江戸の方言 東京土着民にしか通じない(10)
2025-08-18


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「『関西厚焼工業組合』さんが『大阪すしPR活動』の結果作られた新語のようです」
 大阪寿司について、こんなコメントがあった。これはとんでもない誤解だ。
 その証拠に、多くの国語事典に「大阪寿司」は普通に載っている。
例えば、広辞苑。最初の版には載っていなかったが、第2版(1969年)には、大阪鮨(おおさかずし)の項があり、「上方で製する押鮨・巻鮨の総称。また、特に押鮨」と語釈されている。その後、「関西風の押鮨・巻鮨の総称。また、特に押鮨」と多少表現は変わっても、最新版までずっとある。
 日本大百科全書(1991年)には、「大阪ずし 関西地方で発達した押しずしの形態のすし。箱型の押し器の中にすし飯を入れ、具を上に置き、あるいは中に混ぜたものを何段か重ねて固めたもの。小鯛の姿ずし、バッテラなども包含していう」とより詳しい説明がある。
手当たり次第、辞書、事典を開いてみたが、どれにも載っていた。「大阪鮨 関西風の、甘みを利かせた鮨飯でつくった鮨」「生のたねが少なく、味が長持ちし、つけじょうゆを用いないものが多い」などそれぞれに特徴を捉えている。
 広辞苑などが「大阪寿司は東京でだけ使われる言葉で大阪などでは通じない」と認識していたかどうかは怪しい。
 なぜそう思うかというと、「しんどい」には「関西方言」、「おおきに」には「A『おおきにありがとう』の略。関西地方などで広く使われる」、「あかん」には(埒あかぬの略。多く関西で使う)などとあるのに、東京を含んだ地域の方言、「ふてる」、「うでる」などにはそのような注釈めいたものはなく、全国区の言葉と同じ扱いだからだ。
 辞書をつくっている出版の編集部はほとんどが東京にあり、他府県に赴くこともあるだろうが、言葉集め作業の大半は東京だろう。そして、標準語として全国で使われている言葉と東京のローカル語をあまり区別していないように見える。東京以外で聞かない言葉であっても、東京で使われていれば、ほかにどこで使われているか調べずに標準語として扱っているのではないか。
 さて、小学館の日本国語大辞典第2版(2001年)の「大阪鮨」には出典が3つも載っていた。
 一番古いのは、 明治・大正時代の風俗研究グラフ誌「風俗画報」の160号(1898年)。「大阪鮨と称するものは酢飯に魚菜を刻み入れ五六寸許の函中に詰めならし圧平(おしひら)め取出し之を適宜に切或は上に葛餡を引て食料に供す」(*)と作り方を説明している。風俗画報は、日本橋区葺屋町(現在の人形町、堀留町)にあった東陽堂が発行していた。またも人形町だ。
 2番目は近松秋江の小説「青草」(1914年)。「大きな硝子の箱の中に乾涸(ひから)びたような鯛の切身を張り付けた角(かく)い大阪寿しを二つ三つ並べている家・・・」と描写している。
最後は宮本百合子の自伝的小説「伸子」(1924〜26年)。「大阪鮨をたべながら、」とある。
 「伸子」に出てくる大阪鮨はどんな寿司か分からないが、風俗画報と青草の描写は箱寿司だ。どちらも箱寿司と書けばすむ、もしくは、箱寿司と書くべき所なのに、わざわざ大阪鮨(寿し)と書いている。まるで、筆者たち当時の東京人が箱寿司という言葉を知らなかったかのようだ。
 1889年(明治22年)に「大坂すし」の店名で新聞広告を出していたのは長谷川町(現在の堀留町)の店。大阪から上京した日乃出寿司の創業者が大阪の寿司を盛り込んだ物を大阪ずしと命名して売り出したとされるのは1900年(明治33年)。
 「伸子」で「大阪鮨」を食べているのは主人公・伸子の家を訪れた友人。なぜ唐突に大阪寿司が出てくるのかわからない。「チェーンのハンバーガーを食べながら」とか「デリバリーのピザを食べながら」とかごく日常的な風景の描写に過ぎないのかもしれない。
 少なくとも、明治時代後半から大正時代の東京では大阪寿司と言えば大阪の箱寿司などを指す普通に誰にでも分かる言葉だったことになる。やはり、明治20年ごろに日本橋人形町辺りで生まれた造語なのだろう。

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