確かにあった 大阪寿司は江戸の方言 東京土着民にしか通じない(8)
2025-07-13


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しばらくぶりなので少し振り返る。
〓町に住んでいた子供の頃、身近に大阪寿司の専門店があったため、普通に使われている言葉なのだと勘違いしていた。転勤で関西に住むようになり、大阪などで全く通じない言葉だと初めて知った。それでも、関東一円では通用するだろうと思っていたら、千葉出身、神奈川出身の人たちも聞いたことがないという。
 そもそも東京でも、中央区(日本橋や銀座)、千代田区(〓町や神田)など江戸の中心部のごく狭い地域にしかなかったのではないかという気がしてきた。自分が大阪寿司だと思っていた店も本当に大阪寿司と名乗っていたのかどうか自信がなくなってきた。
 子供の頃の記憶では、〓町の大阪寿司は〓町小学校や祖母や叔父、叔母たちが住んでいた本家の近く、新宿通沿いにあったはず。そのあたりには鶴屋八幡や泉屋がある。
 古い地図を調べてみたが、ビルが立ち並び、そんな細かい店まで載っていない。あきらめかけた時、ふとみると、後ろの別記のところに、ビルのテナントらしき一覧が載っていた。
 「あった!」
新宿通の角のビル、1階に「大坂鮨 茶つう」の文字が。調べ直すと、1973年版から1986年版まで載っていた。それ以前やそれ以降はビルのテナントが載ってないのでいつからいつまで存在したのか分からないが、少なくとも昭和の終わりの十数年間「大坂鮨」を看板にしていた店が東京にはあったのだ。
 1996年の地図の西八王子駅の近くにも「大阪寿し」があった。
しかし、東京以外には「大阪寿司」を名乗る店はないのだろうか。
 一橋大学の広報誌が2009年、大学OBである船場の老舗・吉野寿司の橋本英男会長にインタビューしている。「家は天保12年(1841年)創業の大阪寿司の老舗です」と自己紹介している。吉野寿司は現在の箱寿司の完成形を発明した店。しかし、早とちりしてはいけない。寿司と言えば蒸し寿司、巻き寿司など関西のものしかなかった創業時に大阪寿司という言葉があったはずがなく、橋本会長たちがいつごろから大阪寿司という言葉を使うようになったのかは分からない。
一橋大学HQウェブマガジン April 2009 Vol.22([URL]
 1991年12月の阪神百貨店の大阪の広告に、とても小さいが「大阪寿司 吉野」の文字がある。吉野寿司がデパ地下の食品売り場に出ていたのだろう。
 1992年5月の小鯛雀鮨すし萬の大阪の求人広告に「大阪すしの老舗」とある。こちらは天明元年(1781年)に小鯛を使った雀鮨を売り出した元祖。200年、300年の歴史がある大阪の老舗が用語「大阪寿司」を使い出したのはたかだか平成の初めぐらいのようだ。それはそうだろう。双方ともに、箱寿司や小鯛雀寿司を発明し、寿司の王道を極めている自負があるはず。箱寿司は箱寿司。雀寿司は雀寿司。巻き寿司は巻き寿司。その総称は寿司であるべきなのだ。東京に進出する以前、「大阪寿司」という用語を知っていたかどうかさえ疑わしい。
 東京と大阪以外ではどうなのか。
1996年12月、愛知、三重、岐阜の中部3県に出た求人広告に「元祖 大阪寿司『ぎんざ 日乃出』」というのがあった。局番から見て場所は名古屋の栄。大阪寿司という言葉の元祖とされる東銀座の老舗(創業1900年、2017年に閉店)の支店と考えられる。
 記憶や伝聞ではなく、文献で見つけられるのはこれぐらいだった。
「滋賀県の湖北に1970年代、大阪寿司と看板に書いてあった飲食店があった」「札幌、福岡、静岡にも大阪寿司が存在している」などの情報もあるが、確かめられない。
 大阪の人が「大阪寿司」なんて言わないし、ましてや神戸や京都の人が言うはずもないが、それ以外の地域ならさほど抵抗感はないと思う。
 大阪などで押し寿司などの技法を学んだ人が全国を席巻している江戸前にぎりと区別が付くよう名乗ったが、東京のように、一時的とはいえ一つの文化として成立するほどの勢力にはなれなかったのではないか。


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