沖縄は日本でなかった 実感としてその通り
2021-06-28


禺画像]
物心がついたぐらいの頃、父がしょっちゅう「アメリカ」出張に行っていた。1週間、2週間は当たり前。3カ月もの長期に及ぶこともあり、幼い妹ともどもすっかり父親不在になれていた。ある時、見送りについていった。空港で、父に同道する同僚の僕らと同じ年頃の娘が「パパどこにも行かないって約束したよね」と何度もすがりついていました。姿が見えなくなったとたん「ワッ」と泣き出しました。「何で父親が外国に行くぐらいのことで泣くんだ」。きょうだい2人して不思議な生き物でも見るような目だったのを覚えている。「長期出張、空港で子ども泣く」は定番の風景で、自分らの情緒の方がずれてるのだが。さて、後に考えると、この「アメリカ」はほとんどが実は復帰前の沖縄だった。当時は、本土から沖縄に行くのも、沖縄から本土に来るのもパスポートが必要。当時、牛肉は庶民がめったに食べられない贅沢品だったが、アメリカ本土と同じぐらい安く手に入る。沖縄はそんな紛れもない外国だった。だから、「まだ日本ではなかった」という表現はスッと心に入ってくる。基地に反対している人や領土問題に敏感な人の受け止めとはまた違うだろうが。

コメント(全1件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット