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もう20年ぐらい続いてる日本のテレビ番組のクイズブームが大っ嫌い。制作費が安い割に視聴率が稼げるからお手軽なんだろう。しかし、辞書を引けば、あるいは、ググれば分かるような事を、どれだけ覚えているか競う事に何の意味もない。答のある問題を繰り返し解いても何も生まれない。正解のない問題に向き合うのが人生であり、挑むに足る良い問題を見つける、時には自分で作る事が新たな価値を生む。
さて、この問題。鳥肉の柏もそうだが、僧侶が仏教上の問題から動物を食べられないので植物の名前を隠語に使って食べていたと聞いた事がある(殺生を禁じているが、植物は生き物に数えてなかった)。一般人にとっても、動物の肉を食べる事は本来タブーだったのではないか。それで思い出すのは、白土三平の「カムイ伝」。支配階級である徳川政権は、被支配階級の分断を図るため、農民と今で言う被差別民の間の反目を利用した。その一つが家畜に対する立場の違い。農民にとって、牛や馬は生活や農業になくてはならない大切な道具。それが死ぬ事は痛手だ。死んだ場合、処理するのは被差別民の仕事だった。皮や脂などを製品として利用し、肉を食べる。つまり、農民にとっての痛手が彼らにとっての生活の糧になる社会構造になっていたわけだ。本来の仏教には死者を忌む思想はない。日本では、仏教に死や疫病を呪術的に恐れる迷信が混ざってしまい、それが死骸を扱う仕事への職業差別の元になった。こういった事情が絡まって、動物の肉は大っぴらに食べるものではないというタブーが生まれたのではないか。私だったらこういう想像を交えていろいろ持論を展開すると思う。この出題者たちは必ずしも正解や満点の解答を求めてなくて、むしろ、苦し紛れでも変なアイデアを展開してくれる方をおもしろがってる気がする。つまり、社会科だろうが理科だろうが、知識量の開示を求めているわけではないのだろうと。そして、そういう環境で自由に才能を開花させたのが、誰も答えを知らないが、知らなくても誰でも答えられるクイズを作る松丸亮吾なのではないかと。
◆麻布中学の入試問題が難しすぎて頭を悩ませる大人たち
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