コンコルド搭乗記 最後の社会部記者鍛治壮一
2020-04-27


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今回は、世界初にして唯一の商業超音速旅客機コンコルドが就航を終えた2003年に書かれた搭乗記。載ったのは40年前。1人あたりの旅行代金に驚かされる。萩尾望都やちばてつやら売れっ子漫画家たちにとってはどうって事もない金額だろうが、サラリーマン家庭でコンコルドに乗りたいからと言ったら離婚と引き換えだろう。

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<F15に初めて乗った男 最後の社会部記者・鍛治壮一の書斎に眠る昭和-平成史>
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2003年6月14日、パリ、ル・ブルジェ空港のエアショーで。撮影・鍛治壮一
「書けなかったこと 書きたいこと」

◆コンコルドでリオデジャネイロ

 コンコルドが、まもなく運航を中止する。
 燃料を食う。運賃が高い。そして一昨年の墜落事故と同時多発テロ、アフガニスタンとイラクの戦争。コンコルドにとってマイナスの出来事ばかり。中止と決定して、乗りたい希望者が増えた、ともいう。僕は、PRのため羽田に来日した時と、“世界一周旅行”でパリ−リオデジャネイロをコンコルドに搭乗できた。

◆「コンコルドに乗りたーい」。松本零士、ちばてつや

 エールフランスのコンコルドが、パリ−ニューヨークのほか、パリ−ダカール−リオデジャネイロに就航していた1980年夏だった。やはりオイルショックで、パリ−リオデジャネイロ線を運休するという話が出ていた。友人である漫画家の松本零士とちばてつやが、「いまのうちにコンコルドに乗る」と言い出した。「宇宙戦艦ヤマト」や「あしたのジョー」で猛烈に忙しい2人だが、1ヶ月の休みをとって実行すると堅い決意である。僕は、同行取材して「世界一周」の漫遊記を書くことで、毎日新聞社が出張を認めてくれた。当時すでに防衛庁記者クラブ詰めだったから、いまから考えると夢のような話だった。なにしろ、旅行代理店に払った旅行代金が1人250万円だったのだから。

◆猛然と離陸上昇す

 パリまでは日本航空の B.747で。まだ給油のためアンカレッジ経由である。パリで『ポーの一族』『トーマの心臓』など女流漫画家の第一人者、萩尾望都が参加した。「男の人から旅行に誘われたのは初めて」だそう。
 エールフランス085便リオデジャネイロ行きは午後1時出発。3時間も前にド・ゴール空港に着くと、当時は最新鋭の第1ターミナル・サテライトの待合室へ。「コートはここでお預かりします」「シャンペンをご自由に召し上がって下さい」と搭乗前からサービス攻め。
 0時45分に搭乗開始。前から9番目のシートを中心に座ったが、中央の通路をはさんで左右2つずつの4列だから、かなり狭く感じる。0時55分にエンジン始動。50分にはもうコンコルドは動きだし、滑走路に向かった。燃料節約もあるが、フランスのメンツがあるから、混んでいるド・ゴール空港でもコンコルドは優先される。
 1時3分、コンコルドは猛然と大地を蹴るように離陸した。シートの背に体がめりこむような加速度。ストップウォッチで測ったら30秒で機首が上がった。2分後には客室の一番前に付いている大きなデジタルのマッハ計が「M0.47」を示した。
 左に旋回しながら急上昇する。「シートベルトをはずしてもいい」のサインが出たのは7分後だった。

◆音速突破→M2.02の巡航

 まもなくM0.95、M0.96あたりでマッハ計はストップしている。まだフランスの陸上を飛行中だから、衝撃波を出さないため音速以下にスピードを抑えている。そのころも、音速を超えたら「地上のガラスが割れたり、乳牛が乳を出さなくなる。ニワトリが卵を生まなくなる」とコンコルド反対の声が強かった。
 27分後に大西洋上に出た。「これからスーパーソニックに加速します」と機長がアナウンスした。ほとんど加速感はなかったが、マッハ計が1.00を超えた。「グー、グー」とモーターのうなりのような音がする。なぜか、M1.14、M1.15付近でマッハ計が行ったり来たりしている。

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